コラム

簿記誕生の背景(2) ルカ・パチョーリの生い立ちと足跡

2009年08月17日 10:11

前回はほとんど知られていないイタリア商人フランチェスコ・ディ・マルコを取り上げたが、今回は簿記史に燦然(さんぜん)と輝くスーパースター、ルカ・パチョーリの物語である。
この人、一般の人々には無名だが、簿記会計を一通り学んだ会計学徒で知らない人はまずいないという、超有名人なのだ。
世界最古の法律書「ハムラビ法典」を作ったバビロニア王ハムラビよりもその道の学徒・関係者の尊敬度・情熱は遙かに優るのだ。
このことは、法律学徒より会計学徒の方がミーハー度が高いとも言える。

どんな顔してたかって?
ルカ・パチョーリ
画面に向かって中央(左側の人)がルカ・パチョーリである。法衣と頭巾をまとっており、ユークリッドと書かれた図盤に指揮棒を指してつり下げられた鉛ガラスのプリズム(ヴェネチアングラス)を説明している。
左手の下に置かれた本が自ら著した世界最古の複式簿記が収められている数学書「ズムマ」であろう。
ちなみに、右側背後の人は金銭面、環境面で手厚い保護をしてくれた軍隊(傭兵隊長)出身のウルビノ公である。

会計学徒・関係者の情熱・ミーハー度がいかに高いかは、世界に99部現存するこの「ズムマ」初版本を今では神戸、早稲田、日本、専修等々の10大学が保存していることでも裏付けられるし、大原簿記学校では創立50周年記念に水道橋校本館にパチョーリの銅像まで作った。

私ももう20年も前に確か日本簿記学会だったと思うがそれが早稲田大学で開催された折、見学コースとして組まれた図書館で「ズムマ」の実物を目にした。
先年お亡くなりになられた一橋の中村忠教授(日本簿記学会会長)が隣りにおられ「早稲田は金があるなぁ」とぼやいておられたのが印象に残っている。

さて、ルカ・パチョーリ。
1445年にサンセポルクロという、トスカーナ州にある今でも人口16000人ほどの田舎町に生まれている。
16歳で地元の実業家ベフォルチ家に住み込み奉公に入り、このころから商業記録法を学び始めたようだ。
その後、25歳も年上の同郷の名高い画家・数学者ピエロ・デッラ・フランチェスカから数学を学び、その才能を認められて33㎞も離れたウルビノの町にしばしば出かけるようになった。

ピエロが水先案内人となって地元領主ウルビノ公へ紹介し、当時世界最良と言われた公の書庫で勉強できる許可を得たのである。

19歳になると彼はイタリア商業の中心都市ヴェネチアに行き豪商ロンピアジ家の3人子息の数学家庭教師になっている。

当時のヴェネチアは人口19万人でロンドンの3万人とは比較にならぬ大都市だ。
豪商が期待する数学家庭教師への要望はむろんただの数学ではなく、簿記を含めた商業実務数学だった。
彼の商業に関する造詣の深さはこの家庭教師時代に大いに培われたものと思われる。

彼の向学心は強く、この頃数学の教師ドメニコ・プラガディノの門下生にもなり本格的に数学を学び、数学者として身を立てる決意をしている。
数学家庭教師と数学徒の10年余りの熟成期間を経て、30歳になると、フランチェスカ派僧団に入るが、これ以降、僧団規則によりイタリア各地の宮廷やペルジア大学、ローマ大学、ナポリ大学などで数学の講義をすることになった。
この間、彼は多くの数学書を著したが、その集大成、金字塔が「ズムマ」であった。

49歳、正に人生の絶頂期の作品である。

このズムマ、正式名は「算術・幾何・比および比例全集」で、奇数と偶数、命数法、加減乗除、数列などの算術と代数を解説する数学書だ。

とくに、商業数学は詳細に触れていて、利子割引料計算、料率表、貨幣計算など今日でも重宝がられる内容がびっしりと書かれている。

さらに彼の簿記論は、財産目録、日記帳、借方と貸方、元帳、官庁・取引所・組合・銀行の簿記、支店会計、手形の記帳、損益勘定、元帳繰越、試算表、誤謬訂正、帳簿締切法など、まるで現代簿記のオンパレードだ。ほぼ30㎝×20㎝のこの格調高い著書は、ヴェネチアから欧州大陸各都市に徐々に広まり、50年後にイギリスに渡る。
現在でも99部の初版本が世界各国に残っているという事実は、当時ヨハネス・グーテンベルクによって発明されたとされる活版印刷術によるところが大きい。

ところで、ルカ・パチョーリがあの万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチと大親友だったのは意外である。
彼はパチョーリより7歳年下であったが、絵画、彫刻、建築、土木、医学、飛行機・・・等々の広範囲にわたる領域で恐るべき足跡を残したことはつとに有名だ。


上の絵は、かの名作「最後の晩餐」だ。遠近法を駆使し幾何学的に計算し尽くされた名画として知る人ぞ知る逸品である。
しかし、この作品、もしパチョーリがいなかったらその構図に多少のブレが出ていた可能性も高い。
かつての数学恩師ピエロから遠近法を深く学び取っていたパチョーリがユークリッド幾何学の真髄をレオナルドに伝授したからである。
レオナルドは自然研究、人体研究に没頭し、絵画の中に遠近法を取り入れたいと考えていたが、未完成のままで終わっていた。
パチョーリとの出会い(パチョーリが51歳、レオナルドが44歳の時)がそれを完成させただけでなく、もともとの数学好きに一層の回転がかかっていったのである。現在残されている手書きの原稿にはパチョーリのことを「ルカ先生」と記して心酔していたことが分かる。

パチョーリは、16世紀を迎えた頃にはその名声は伝説的になっていた。彼の講義はヴェネチア、フィレンツェ、ピサ・・・行くところ超満員の盛況だった。

私も、(パチョーリのような人望がほしいものだ)と、ふと思う。

しかしその前に、本物の実力を向上させるべく努力することが一番であろう。